2007年12月01日

ノートパソコンのキーボードを交換

ある夜、飲もうとしてた日本酒をノートパソコンのキーボードにこぼしてしまいました。
すぐさま、パソコンの電源を切り、キーボードをはずして水洗し、よく乾かした後再度取り付けて起動させたところ、ずっとbeep音が鳴りやまない状態となりました。

調べてみると、どうやらShiftボタンがずっと押されたようになっているようです。
キーボードの右端にこぼしたので、ここでショートしてしまったのでしょう。

こうなったらどうしようもありませんので、キーボードを取り替えてもらわなければなりません。こういった部品は普通の電気屋さんでは売ってないので一応修理してもらう形になります。

たぶん高いだろうと思い、見積もりを先に頼んだところ、技術料も入れて2万円なり。
パソコンは東芝dynabook TX/2513CMSWです。
購入当時は12万円程度だったのを思いだし、ちょっと割に合わないなということでオークションで新しいキーボードを探してみると、簡単に見つかりました。

東芝dynabook TX/2513CMSW
キーボードの型番はG83C0003L310

大変ありがたいのですが、どこから手に入れられたのか非常に謎な、新品のものが手に入りました。
送料も入れて五千円ちょっと。

コーヒーやお茶などをキーボードにこぼしてしまい、故障することはよくあることのようです。キーボードは簡単に取り外せますので、修理に出さずに直してみる手もありです。
dynabookのキーボードとパソコンの対応表はこちら。
http://blog.style-pro.jp/?eid=209961

コメントをどうぞ (0)

2007年11月25日

源泉徴収をやめると

給料から税金が天引きされる源泉徴収という制度は、なくすべきだと考えます。理由はいくつかあるのですが、まず第一に不公平感からです。自営業の人は利益から事業に必要だった経費を差しひいた分が収入と見なされ、そこに課税されます。自営業の人は節税のために出来る限りの出費を経費として計上して、できるだけ課税額を小さくしようとするでしょう。一方、会社員の場合はある割合が給与所得控除として差し引きされますが、それ以上の控除は事実上望めません。たとえば、業務で必要な書籍代やパソコン代は経費として認められません。同じ種類の出費が、自営業では経費として認められるのに、給与所得者では認められないというのは不公平です。
第二に、納税者意識が薄れるからです。天引きで知らないうちに知らない式で計算がなされ、税金が納められるというのでは、自分がいくらの収入に対していくらの税を納めているか分かりづらくなるからです。
源泉徴収をやめると自分の収入に対して、いくらの経費がかかっており、いくらの税を納める必要があるかを自分で計算しなければならなくなります。計算自体はそうめんどくさいものではありませんので、一日もあれば出来るものです。一年の内、一日くらい自分の損益計算をするのも悪くないでしょう。

コメントをどうぞ (0)

2007年01月02日

複合化と個別化

近頃の電気製品の多機能化には目を見張るところがあります。その最たるものが携帯電話であって、通話やメールだけでなく、音楽プレーヤーや電子マネーの機能まで搭載する機種も登場しているようです。いくつもの機能がひとつの端末に凝縮されているというのは、持ち運びの面から言うと大変都合がよく便利なものです。しかし、その機能の複合化の弊害というのも当然考える必要があります。
飛行機内で電波を発する機器の使用は禁じられており、当然携帯電話も搭乗している最中は電源を切っておく必要があるのはよく知られています。また、離着陸時以外は電波を発しない電子機器の使用は制限されていません。シートベルトサインが消えて水平飛行に達したら、ビジネスマンはノートパソコンを引っ張り出してみたり、若者は音楽プレーヤーをいじったりしてます。ここで問題になるのが、先ほどの音楽プレーヤー機能付き携帯電話です。当然電波を発する機能を有してますので、いじくっていたりするとアテンダントは注意することになるでしょう。そうなると折角の音楽が機内で聞けなくなるだろうということが容易に予想ができます。そんなことにならないように、携帯キャリア各社は電波を出さない「電波オフ」モードを用意しているそうです。実はこんなモードがあるなんて調べてみるまで全く知りませんでした。ユーザーであれば知っているでしょうが、使っていない人のほとんどは知らないのではないかと思います。明らかに周知不足の感はあります。

すべての乗客が搭乗するときに携帯電話の電源を切っているかについては確かに疑問が残ります。全員に確かめることもできません(将来は金属探知ゲートの電波版が登場するかもしれませんが)。すべては乗客の正直さに頼っているといっても過言ではありません。ですので、ユーザーを信用して電波オフにしてくれるだろうと思ってもいいのかもしれません。しかし、ユーザーの性善説に頼るメーカーやキャリアの姿勢としては積極性に欠けると言わざるを得ません。
企業のCSRが叫ばれているわけですが、別に山に木を植えたりゴミを拾い集めたりすることだけが社会に対する慈善事業ではないはずです(もちろん植林や清掃活動はかなり評価できます)。技術を結集させると複合化でき多機能にできると分かっていても、あえてそれをしないことも評価すべきことです。

(参考)http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0410/29/news023.html

コメントをどうぞ (0)

2006年09月26日

登城、そして本屋梯子

熊本を離れる前に、プラネタリウムに行っておこうと思い立ち、午後三時の最後の回に間に合うように市立博物館へ。熊本はおもしろいことに、県立博物館はないが市立はある。以前、県立を作ろうという話が持ち上がったが、立ち消えになったのだろう。新しく作る前に既存の施設を充実させた方がいいという判断は賢明である。
事実、市立博物館の展示物は十年前とさほど変わらず、入館者も少ない。館内もいくぶん暗い感じがして、剥製の動物たちがおかれたジオラマとマンモスの彫刻が異様な存在感を有していた。昔はこんな陰気な感じではなかったのだけれども、やはり流行り廃りはあるのだろうか。
お目当てのプラネタリウムは以前あったのと同じ紫色の五藤光学研究所製のもの。ちなみに観客は7人(3カップル+1)。もっと流行るといいのだけど。
さて、三大名城の一つである熊本城を後にして、こちらも日本でも一、二を争うくらい長いアーケードである上通り、下通、サンロード新市街を歩く。街に出ても遊び方をしらないので、行くところといえば本屋くらいである。三軒ほど梯子をして、何冊か購入し、ずっと気になっていた喫茶店に行ってみる。
どうやらそこは紅茶専門店だったようだ。
ティーハウス・コッツウオルズ
笑顔のすてきな若い女性(!)が説明してくれて、おいしいダージリンのセカンドフラッシュをいただき、またゆっくり来ますと言って、店を後にした。

一つ心残りは、チャイナドレスを纏ったウェイトレスさんが料理を運んでくれる中華料理店に行こうと思っていた計画が果たせなかったことである。

はやり街は魅力がないといけない。その点だけは石原都知事の意見に賛成できるところである。

コメントをどうぞ (0)

2006年09月23日

内之浦ロケット打ち上げ見学記

国産の固体燃料ロケットであるM-Vの最後の打ち上げを見に鹿児島県内之浦まで。夜中の11時に家を出発し、高速道路と国道をひた走り、若干道に迷いもしながら午前4時頃に見学所に到着。見学所は国道448号線沿いで、JAXAの建物から南に10 kmほど南下したところ。
午前四時なので十分に早くついたと思いきや、見学所の駐車場はもはや満車。やはりM-V最後の雄姿をひと目見ようと駆けつけた人も多いのだろう。午後四時は早すぎない?と言っていた同乗者はさぞ驚いたことだろう。
路上駐車ならOKということで、3 kmほど離れた路上に合法縦列駐車。小雨が降ってきたので、せっかく来たけれど打ち上がる確率は低いなと内心思いながらも車から見学所まで15分ほど歩く。

ほどなく着いて、急な斜面に見学するための場所を陣取る。
海風に体温を奪われながら、凍えつつ、ひたすら待つこと1時間半。

突如、所内から漏れ聞こえてきた「X -30秒」のカウントに心躍る。

自然発生的にカウントダウンのかけ声が広まる。

そして、リフトオフ。

閃光が山から現れ、しばらくして爆音が轟く。

060923_0636~0001.jpg

コメントをどうぞ (0)

2006年09月21日

新しいロゼッタストーン

実家に帰省してやることといえば犬の散歩くらいなのだけれども、今日も久しぶりにアル君と散歩。このアル君、父が子犬の時に拾ってきたのだけれどもあまりにも間が抜けた顔をしていたので、賢くなってほしいという願いを込めて、アルバート・アインシュタインの最初の二文字から名付けられたのである。その甲斐あってか、普通の飼い犬程度にはなってくれたが、やんちゃさと甘えん坊さは抜けきれないようである。

さて、散歩の途中で雑木林を通るのだけれども、そこには少しばかりゴミも捨てられている。車から投げ捨てるのだろうが、空き缶やプラスチックゴミが多い。缶はある程度錆びたりして朽ちていくが、プラスチックは少しばかり汚れるだけでいつまでも残る。今でこそ、生分解性プラスチックなるものがでているが、それもまだ一部で使われているだけであり、大部分は石油を原料にしている。たしかに耐久性という点では優れているが、不用意に捨てられると朽ち果てることなく残り続けることになる。林に捨てられたビニール袋が何らかの形で地中に残り、数百年後に掘り起こされて日の目をみるなんてことも起こりうるかもしれない。そして、袋にかかれた文字(日本語やら、電話番号やら、横文字やら)を解読することになるのだろう。

ギリシャ語と古代エジプトの言葉で書かれたロゼッタストーン。
21世紀が残すロゼッタストーンは不名誉な形で残ることになる。

コメントをどうぞ (0)

2006年09月09日

罰ではなく償いを。

最近、ちょっぴりお腹のお肉が気になる年頃になってきました。そこで、特保のお茶を飲んでみたり、ちっとも進まない自転車(ジムにおいてあるやつね)をこいでみたりと、無駄な抵抗を試みてはいます。でも、何事もバランスが大事とよく言うように、食べるのを制限するのが一番かも知れません。少しはカロリーなどを気にするようになりましたが、やっぱり止められないことも多いのです。特に、お風呂上がりのビールの味を知ってからは。
そこで、飲む前は一つの儀式があるわけです。太ると分かっているのに、それでもビールを飲みたいという邪なる衝動を少し清めてくれる償いをするのです。まずお風呂の掃除。飲むときはいつもより丹念に磨く。そして、腹筋と背筋の筋トレ。そこまでして飲みたいかといわれると、答えは「はい!」。

このような一連の行動を振り返って思うのは、「罪なこと」をしたことに対して世間が求めるべきものは、罪ではなく償いであるべき、ということです。前者は押しつけれるものであり、後者は内発的なものです。どちらが本人にとって効果あるものであるかは、明らかな気がしますが、傍目から見ると罰と償いの見分けは難しいのも事実です。では、こうしてみてはいかがでしょう。悪いと認めさせた後、償いを本人に考えさせるというのは。易きに流れるのも人情と言いますが、それならそれで仕方のないことです。

というわけで、今日も風呂掃除と腹筋、いたしました。
いただきます。

コメントをどうぞ (0)